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令和こそは一日一日をゆっくり、丁寧に過ごしていきたい

昨日、西暦2019年5月1日をもって、元号が「令和」という新しいものに切り替わったのは、既に皆様ご存じのことであろう。このことに関して、それぞれ思うところがあるだろうけれども、一つの区切りを迎えたのは疑いようのないことなのだから、気持ちを切り替えるには、これ以上ないくらいに良い機会だと思う。

そこで、これまでの私の生き方について少々反省しつつ、これからの人生についての展望を考えてみることとしたい。

 

「平成」の私は総じて生き方が雑だった

つい最近まで、私は本当に生き急いでいたように思う。そのために、どうしても行動がどれもこれも雑になってしまっていて、一貫性を維持することすらままならなかったのではないか。また、仕事でも家事でも、丁寧に仕上げようとしないばかりに、後でひどい目に遭ってしまうこともしばしばあった。

総じて考えてみるに、「結果さえ出れば良い」というのが、従来の私のスタンスだったように思う。だが、付け焼き刃程度の練習で成果が出るとは考えにくいし、日頃の積み重ねというものを大事にしていかなければ、高い山を制覇することはとうてい不可能だ。いや、高さがそれほどないものであっても、大変に困難であることは疑いようがない。

「拙速は巧遅に勝る」とはよく言われることだが、これも度が過ぎてしまうとどうしようもなくなる。せっかく早く終わらせても、完成したものの質が悪ければ、評価されないことになってしまう。また、時間ばかりに囚われて、時間を要するが不可欠である行程をすっ飛ばしてしまう事態も生じうる。こういったことにまるで気がつかなかったのが、今までの私の生き方の反省点である。

 

これからの私なりの指針:丁寧さを意識する

以上のようなことを今後できるだけ繰り返さないためにも、例えば次のような動き方をしっかりと身につける必要がある。

  • 時間をかけるべきところはしっかりかける
  • 時間は少しかかっても良いから、丁寧に仕上げる
  • 出来上がるスピードにこだわりすぎない
  • つまらないミスを見過ごすのではなく、防ぐ方法をしっかりと考え、実行に移す

つまり、「早さよりも質や丁寧さを意識した生き方をするようにしたい」というところだ。もちろん、早く終えられるところはそのようにして構わないけれども、いつもアクセル踏みっぱなし、というような状態だけは避けたいのである。

 

雑な生き方は浪費を生む

今になって気がついたのだが、「雑に生きれば、それだけ時間や金銭を浪費してしまう」のだ。

例えば、欲求に動かされるがまま、後先のことを考えずに物品を買い続けてしまうと、買い物に費やした時間やお金のうちの大多数は、おそらく無駄になってしまうことだろう。必要性や割くべき時間のことなど全く考えていないのだから、致し方あるまい。それらが後々ゴミになったとしても、それは自業自得である。

ただ、恥ずかしいことに、私の半生はこういったことの繰り返しだった。必要がなくても「便利だから」「後々役に立つだろうから」と理由をつけて手を出してしまうわけである。物や時間を大切にしているように見えて、根っこでは全然大切にしていなかった証左だ。

お金を本当に大切にしているのならば、必要なもののみにお金を使い、必要のないものは、手に入れたいものであっても使わない、というような姿勢を貫くことが必要だ。また、時間を本当に大切にしているのであれば、余計な道草(とりわけ無駄なショッピング)に時間を割かないことが肝要である。

これからは、できるだけ物を捨てることのないよう、あらかじめ物を買い控えるようにし、その分、既に手元にある良い品々を大切に扱うようにしていきたい。おそらくその方が支出が減る分、金銭的にも豊かになれるだろうし、将来的には心にもゆとりが生まれてくるだろう。

せっかくの、一回こっきりの人生である。どうして大切にしないことがあるだろうか。

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