はじめに
「それは、ただのクソリプのはず……だった」
TwitterやFacebookといったSNS等でもはや見ない日はなくなったと言っても良い「クソリプ」(揚げ足取りでしかない返信)。これを題材にしたウソ映画『クソリプゾンビ』の予告サイト風のページが公開されています。
作者と代表作
このウソ予告の作者は「みやかけお」さん。およそ20年にわたり、インターネットの世界を風刺する作品を作り続け、自身のサイト「ザ・ガーベージ・コレクション」にて公開し続けている人です。
特に「とある かぞくが のこした blog」として知られる「十億アクセスの彼方に」(2004年11月公開)は、アクセス稼ぎのためだけにブログで全てを曝け出したときに起こる恐怖をうまく描ききっており、当初は大きな話題となりました。(もう15年前になるんですね……)
設定の巧妙さ
「あらすじ」から
インターネットの世界をうまく風刺する技術が今なお健在であることは、あらすじに少し目を通すだけで分かります。
クソリプゾンビ……それはSNSが世の中に広まってから産まれた新たな精神疾患で、これに罹患すると、SNSを閲覧するたびに、他の誰かにクソリプを送らなければいられなくなってしまうのだという。さらに”クソリプゾンビ”からクソリプを送られた人も、同様に”クソリプゾンビ”と化し、やはり誰彼かまわずクソリプを送るようになってしまう。
KUSOREP ZOMBIE
誰彼構わず「クソリプ」を送ってしまい、場合によっては取り返しのつかない事態を招くということを、あえて新たな疾患としたというところに、作者の設定の巧さが垣間見えます。
実のところ、「なんとかして物申したい」という衝動、あるいは「自分こそが正しいことを確認したい」という欲求が「クソリプ」の主要因ではあります。しかし、この衝動はしばしば無意識のうちに起こってしまいますので、気づかないうちにやってしまったとしても、決しておかしくはありません。人間誰しもが、「クソリプ」をする可能性はあるし、「クソリプゾンビ」に化ける可能性すらある、ということなのです。
「インタビュー」から
インタビューとして掲載されている以下の文章も、味わい深いものがあります。
ーテーマがクソリプということですが、どこからこの発想が出てきたんでしょうか。
実体験ですね。以前、私が「最近の洋画のタイトルに付けられる副題が説明的すぎる。鑑賞者を馬鹿と思っているのが透けて見える」というツイートをしたんですね。そうしたら、見ず知らずの人から「説明的にしないと映画館に客が来ないからだよ。それもわからないようなお前みたいな馬鹿のために、苦労して説明的な副題をつけてるんだよ。バーカwww」というリプライが寄せられたんですね。これ、明らかに私の言わんとしていることとは違う部分に噛み付いてきてますよね。「そうしないと映画館に客が来ない」って、そんなことはわかってるって(笑)私が言いたいのは、そこまで説明してやらないと興味が持てないようなレベルの低い連中を相手にしていると、いずれ取り返しのつかないところまで映画界のレベルが下がっちゃうよ、ということなのに、その真意を汲み取るところには至らないで、ツイートに使われた言葉のみを捉えて脊髄反射的にリプライを送ってくる。これは私にとってはクソリプ以外の何物でもないんです。構造として言いがかりを受けるのと同じことですから。
KUSOREP ZOMBIE
最近は、SNSを中心に、活字や画像によるコミュニケーションが異常なまでに発達してしまったこともあってか、「真意を汲み取れない」人、「言葉尻だけを捉えて勝った気になる」人が目立ってきているように思います。いちいちあれやこれやと説明をしないといけないというのは、「空気も表情も送ることができない」媒体ならではのデメリットであると言えるでしょう
もちろん、説明不足や誤解を招く表現は慎むべきだと思います。けれども、人間誰しも、限界や想定外というものはある。どんな状況が起こってもしっかり対処できるというような完璧超人は、まずあり得ません。そういったことを想定しえないような人こそが「クソリプ」を送ってしまうのだと思います。
他のアカウントに声をかける際には、何よりもまず「相手の立場に立って考えてみる」という、コミュニケーションの基本に立ち返りたいものです。
「予告」風動画だけでも見てほしい
作者本人の手により、「予告」風の動画がYoutubeで公開されております。
それっぽく作られていて、これだけでも立派な風刺作品になっているので、是非ともご覧くださいませ。そして、思うところを当記事のコメント欄などに書いてくださいますとありがたいです。