既にご存じの通り、島根県でも昨日(4月9日)、新型コロナウィルスに感染した人が報告された。このことについて、私自身の心境を書き残しておくこととしたい。
山陰中央新報による速報記事
率直に、「とうとう出てしまったか」という気持ち
職場の同僚から聞いた話だが、ここ最近、島根県内において、県外ナンバーの車を見る機会が多くなっている、ということだったらしい。詳しい統計などは出されていないので何とも言えないが、少なくとも、今月7日付で県知事が苦言を呈する((https://www3.pref.shimane.jp/houdou/articles/151824))ほどだったから、数は決して少なくなかっただろう。感染事例が報告されるのも、時間の問題であったように思う。
私自身、島根県が安全地帯ではないということは認識していて、できる限りの予防を心がけていたつもりだ。一方、昨日までは感染事例が出ていないということもあって、ある程度は自由な行動ができていた(もちろん、2月下旬以降、移動は鳥取と島根の両県に限定しており、それより外に出ることはなくなっている)。来るべきときに備えるのが本筋ではあったのだが、「両県において事例がない」という事実に甘えていた感がある。
しかし、もはや言い訳はできなくなってしまった。隣市に感染者が出てしまっている以上、私の居住している出雲市内においても、いつ感染者が出ても決しておかしくないこととなった。当該感染者は少なくとも症状の出始めた先月19日には感染していたと推測できるというところから、おそらく、感染事例は、今後も増えてくることだろう。私自身も早急に対応していかなければならない。
これからは、決して気を抜いてはいけない時期が続いてゆく。私の職場もまだ事業停止していないだけに、外出、労働等による感染リスクも決して少なくはない。今後の行動計画を作り変えないといけないし、自分が感染者になった場合の心づもりも練らないといけない。あれこれと考えている暇は、おそらくないだろう。
「怒りのパペポ」から25年
昨今の状況を見て、まず思い出すのが『鶴瓶上岡パペポTV』の第390回(1995年1月27日放送)。阪神大震災から10日経った後の放送(収録は同月23日)という事情もあってか、同震災について、笑福亭鶴瓶さんと上岡龍太郎さんの2人だけで語り尽くしたというもの(無観客)。番組ファンにとっては「怒りのパペポ」として半ば伝説ともなっているそうな。
このお二方が怒りの矛先を向けているのは、主に次の2つである。政治家の対応の遅さ、そしてマスコミの無節操な行動。
政治的主張についての賛否はともかく、村山富市首相(当時)を中心とする政治家の対応に遅れが出てしまったことは、そのまま阪神大震災における犠牲者の増加にもつながった。((なお、当時は大規模災害について危機管理体制が出来上がっていなかったという事情もあった。約16年後に起きた東日本大震災では、阪神大震災での教訓が活かされており、一部を除けば初動は概ねできていたということである。参考:https://president.jp/articles/-/656)) そのことについて不満が向けられるのは、致し方ない面もあろう。鶴瓶さんも上岡さんも、芸人である前に、感情をもった一人の人間なのである。
しかし、彼らも大変お世話になっているはずのマスコミに批判が向けられたのは、大半の視聴者には新鮮だったのではないか。((上岡さんは以前にもテレビ局を中心としたマスコミ批判を番組生放送中にやったことがあり、このときが初めてではない。鶴瓶さんについてはよく知らない。)) 二人だって、言ってみれば、テレビ局やマスコミに「使われている」存在である。こういった人間が「使用者」とも言えるものを公然と批判するというのは、一歩間違えれば、その後は永久に干され、テレビやラジオに二度と出演できない可能性だってあったわけだ。それでも番組は収録され、偉い方からのOKも出て、関西圏を中心とした全国のお茶の間に向けて放送と相成った。当時のこの判断は、言うまでもなく、英断であった。
感染災害をとりまく状況は震災時とあまり変わっていない
現在の状況を見ていると、25年前、あるいは東日本大震災の起こった9年前と、あまり変わっていないのではないか。感染症か震災かという違いはあるものの、本質的には、何の変化も見られない。
- 「自分だけは感染しない」という慢心、およびそこから来る身勝手な行動
- 「あそこに行けば大丈夫」「ここから出れば安心」などという根拠不明の思い込み、地域差別
- 身の安全の確保を最優先しないという、個人レベルの危機意識の欠落
- 身の安全の確保を最優先させず日常業務を命じるという、企業・団体レベルの危機意識の欠落((もちろん政治家や公務員、医療関係者等は別。彼らには早急かつ的確な行動が何よりも求められている。))
- 書面上だけの危機管理体制、緊急事態発生時の対応の融通のなさ
上にあげたような昨今の状況を見て痛感しているのが、「少なくとも日本人については『変わりない日常』から離れるのを我慢するのが大の苦手である」ということだ(もちろん例外も少なくないだろうが)。未曾有の災害に巻き込まれているにもかかわらず、依然として強行開催のイベントに行くわ、納期についての心配はするわ、経済を動かすのを優先しようとするわ、電車や夜行バス、自家用車や航空便などで遠く離れたところへ「疎開」してバカンスを満喫するわ――「日常」優先の身勝手な行動が跡を絶たない。
アメリカなどとは違って、都心部や感染者頻出区域を封鎖しようとしない政府も問題だけれども、身に迫る危険を対岸の火事と思ってしまう我々日本国民もどうかしている(実際、東日本大震災においても、慢心などで津波からの逃げ遅れが多数発生し、死者数の増大につながっている)。いざというとき、考え方や優先順位を切り替えられるようにしていかなければならないのだが、できていない人が少なくないのが非常に残念である。
最後に
現在求められるのは、一刻も早い感染症の殲滅、感染者や関係者の方々への手厚いフォロー、そして死者数や感染者数を可能な限り出さないこと、それしかありえない。これらに私情や感情論を挟むのは許されないことだ。嫉妬や羨望、欲望等の感情から出てくる身勝手な判断や行動が、都市や社会全体を破滅に導いてしまいかねない。
この問題に関しては、できる限り良識ある行動や言葉を心がけていきたい。そして、いつか近いうちに、あることないことでバカやって笑える日が来ることを願うばかりだ。
とうとう出雲市でも感染事例が(4月26日追記)
今月25日、出雲市内でも感染事例が報告された。