一昨年の7月に起きた西日本豪雨災害で得た教訓を、今こそ活かすべきなのでは。
当時のニュース動画
西日本豪雨の最中に起こった爆発事故
一昨年のことなので、まだ記憶に新しい方もいらっしゃるかもしれない。ちょうど、西日本豪雨災害の時期の話です。当時、私も岡山市の住民だったので、よく憶えています。
岡山県総社市の朝日アルミ産業という会社が運営していたアルミ工場が、突然爆発。この影響で付近の住宅が損壊した他、住民にも怪我人が出てしまった。
当時の従業員の話によれば、豪雨で付近の川が氾濫しており、操業を続けるのは極めて危険だったにもかかわらず、上司が操業を続けるように命じていたということです。その結果どうなったのかは、もはや語るまでもありません。
なお、この爆発事故以後、この工場を再び運用することについて「近隣住民の理解を得られない」として、親会社により、当該の会社ごと事業停止をしている、ということだそうです(ただしソースはWikipediaの当該記事から)。
「かもしれない」思考
「だろう」運転ではなく「かもしれない」運転を心がけるように――これは、運転免許の取得、あるいは更新のために警察署や免許センターに行った方なら、誰でも聞いたことがあるのではないでしょうか。自動車教習所での導入教育や更新時の講習などで、講師たちがしつこいくらいに言ってくる言葉ですね。
これはいったいどういうものかと言えば、運転者の不注意や思い込みを防ぐための意識付けであり、もちろん交通事故の抑制のためには必要不可欠です。
- 「私は事故を起こさないだろう」
- 「交差点で歩行者や自転車は渡ってこないだろう」
- 「脇を走るバイクが速度を上げてはこないだろう」
- 「この速さでも眼前の急カーブは曲がれるだろう」
- 「私は事故を起こすかもしれない」
- 「交差点で歩行者や自転車が渡ってくるかもしれない」
- 「脇を走るバイクが速度を上げてくるかもしれない」
- 「この速さでは眼前の急カーブは曲がれないかもしれない」
要するに、「事故を起こすのは自分の気の緩みでもあるから、起こりうることはきっちりと向き合い、考慮に入れるようにしなければならない」ということです。そして、このことは何も車の運転だけにとどまる話ではありません。
先程の朝日アルミ産業の爆発事故のことを考えてみましょう。
いったん工場の機械を止めるとなれば、我々には想像もつかないほどの時間がかかるでしょうし、もちろん売上増加もかないません。再稼働をするにもかなりの時間が必要だと思います。
しかし、未曾有の天災に面していた折に、普段通りのことをやろうとし、「自分たちには被害が及ばないだろう」「浸水など起きるわけがないだろう」などと思いこんで目先の利益や損失に囚われてしまうと、十中八九、後で手痛いしっぺ返しを食らうことになってしまいます。
逆に、例えば事故が起きる前日である5日、ちょうど大雨が降り始めて、このまま続く見通しが強まった折、工場内の機械を全てストップできていれば、あるいは爆発事故が起きなかった可能性もあるのです(無論、工場内のアルミニウムなどと反応して爆発が起きる可能性は大きかったでしょうが、実際ほどの被害が出ていたとは考えにくいです)。すなわち「被害が自分の身に降りかかるかもしれない」と考えていれば、爆発の被害は最小限に抑えられていたと思われます。
このことからも、「かもしれない」思考の必要性というものがお分かりになることでしょう。
「新型コロナウィルスに感染するかもしれない」
さて、新型コロナウィルス(COVID-19)に話を移しましょう。
岩手県を除く全都道府県にて感染者が出ており、その数が日を追うごとに増えてきている今、このウィルスは誰もが対応せざるを得ないものとなりました。「私だけはかからないだろう」という思い込みは、もはや通用しません。
だからこそ、日頃の対策が物を言います。「手洗い」「うがい」「咳エチケット」、そして「三密からの退避」、「外出そのものの制限・自粛」。こういったことは、「かもしれない」思考と組み合わさって、初めてものになることです。「だろう」思考では、生半可な応対に終わることは目に見えています。
これは個人レベルでも企業・団体レベルでも同じと言えます。感染者が実際に出てしまってからでは遅いですし、それによって濃厚接触で他人も感染してしまったのならば余計にダメです。「あのとき早期に取りやめにしておけば良かったのに」などと後悔しても、後の祭りとしか言えません。
事業や趣味を強行した結果、友達や取引先、近隣住民からの信頼を失ってしまうことになるくらいなら、一時的にでもやりたいことを我慢する方が、よほどマシというものではないでしょうか。
最後に
交通事故は起こしてしまった時点で何を嘆いても遅いし、上の爆発事故にしても慢心や思い込みが被害拡大の要因となりました。COVID-19についても「あそこにさえいれば安全安心健康快適」という言い訳は通じません。
「朝三暮四」という四字熟語(故事成語)があります。目先の利益に囚われることの危うさを戒めた言葉です。この言葉を胸に刻みつつ、「自らの身に降りかかるかもしれない」と思いながら、今後、安全宣言が出されるまでの間、COVID-19と戦っていきたい所存です。
ちなみに、どうしてこんなものを書いたかと言えば、今日、職場の代表者からの訓示があったからです。その内容が「COVID-19の感染者が出れば事業停止を考えますが、それまでは従来どおり事業を続けようと思います、皆さんはかからないように日頃から気をつけておいてください」という、危機感のかけらもないものだったのです。このご時世「感染者が出るかもしれない」という前提で対策しておかなければいけないのだが、その気概は全くもって感じられませんでした。
こんなことでは、感染者がいつ出てきても、いつ拡大してもおかしくないですし、おそらく擁護できるなんてことはありはしないと思います。