この記事をお読みになる前に

こちらの記事は、本家「いちごいちえ」にて2019年12月29日付けで公開したものです(元記事は既に削除しています)。

この度、訳あって当ブログ(さぶろぐ)に移設することといたしました。その際、表現や体裁の修正および加筆を行っておりますが、元記事でお伝えしていたことは極力変更しておりません。

なお、以下の記事も併せて読んでくだされば幸いです。

はじめに

先日、訳あって積ん読にしていた『学び効率が最大化するインプット大全』(樺沢紫苑 著)を読んでいたところ、以下の著述が目に留まりました。

 誰が書いているのかわからない記事は、情報としての価値がありません。なぜなら、信憑性の確認がとれないから。著者名、ライター名、サイトの主催者名が書かれていれば、その名前で検索すれば過去の実績や口コミはすぐにわかります。
 本名で記事を書いている人は、嘘を書けば現実での名声に傷がつくので、責任のある文章を書く確率が高い。匿名やハンドルネームの人は、嘘を書いてもなんのマイナスにもならないので、信憑性は低くなります。

引用元:『学び効率が最大化するインプット大全』(150-151頁)

これは要するに「実名の方が言っていることは信用できるが、匿名の方が言っていることは信用してはいけない」ということです(と私は解釈しています)。しかし、およそ20年にわたって、名前や舞台を変えながらネットで活動を続けてきた私からしますと、そんなことはまずあり得ない、という思いにしかなりません。

 

「ネットの匿名性」は決してノーリスクではない

まず確認しておきたいのが、「匿名ならば何でもウソやデタラメを書いて良いはずはない」ということです。

いくら匿名だからと言っても、殺害予告をしたからということで、書き込みの際に保存されていたIPアドレス等が根拠となり、書き込んだ本人が逮捕された事例は枚挙に暇がありません。あるいは、自分の犯した失言や不法行為等がもとで、過去に公開した写真や発言により身元や実名などが割り出されてしまったケースも数多いところです。

こういったところから、「どんな場所であれ、完全な匿名性が担保されているとは言い難い」ということだけは言えます。何らかの要因により常に丸裸にされるリスクがあるということは知っておくべきです。

いずれにしても、たとえ匿名であっても、他人にひどく迷惑をかけるような真似だけはしてはいけません。

 

実名で書くときのリスクを理解しよう

最近、愛知県豊田市の元市議が、常磐自動車道における「あおり運転殴打事件」において、事件とは無関係の女性を関係者として仕立て上げた内容の発言をSNS上で拡散した、ということが大きな問題となりました。

追記

【追記】 この方は情報を載せた当時こそ議員の身分でしたが、炎上の責任をとるために議員辞職しています。その後、名誉毀損のために女性から訴えられた後、示談等が成立することもなく敗訴しています。

「ガラケー女」デマ投稿、提訴された豊田市議が辞職:朝日新聞デジタル (asahi.com)

デマ拡散元市議に賠償命令 あおり運転で「同乗の女」 – 日本経済新聞 (nikkei.com)

この件については、後日、本人がきちんと謝罪をしたから良いのではないか、とする向きもあるのではないでしょうか。しかし、当該の拡散行為が軽率であったことは否定できませんし、何よりこの行為自体を取り消すことは不可能となっています。

実名で発言すると怖いのは、この「なかったことにはできない」というところです。匿名ならば、よほど過激な発言でもしない限りは、名前さえ変えてしまえば、自分の犯した過ちをなかったことにすることができます(本当なら猛省すべきところです)。しかし、実名でやらかしてしまうと、「ああ、あのひどいことを言ったあの人ね」というようなイメージが紐付けされてしまい、下手をすると二度と社会の表舞台に立つことが不可能となってしまいます。当記事の趣旨からは少し外れますが、過去に「バイトテロ」を犯した当の本人が悲惨な人生を送る羽目になってしまったのは、良い教訓とすべきでしょう。

匿名ならば、失敗したときのリスクはそれほどでもありません。そのために、あることないこと言えてしまうのは確かでしょう(繰り返しますが、決してノーリスクというわけではありません)。一方、実名であるならば、一度失態をしてしまったというだけで、その当時の悪評が出回るようになります。失言をしたり失態を演じたりしたときのリスクがあまりにも大きすぎるのです。

そういうリスクがあることを理解した上で、「実名である分、責任のとれる発言しかしない」という自制をする人もいるにはいるでしょう。しかし、世の中、そういう人ばかりではありません。上の元豊田市議の事例もその1つです。その他にも、例えばデヴィ夫人が無関係の女性を某自殺問題の関係者として仕立て上げた文章を写真付きで書いたのも大きな問題になりました。その他、実名だからといっても無責任なことをたくさん言っている人はいくらでもいます。そして、昨日まで責任ある人間だと思われていた人が、ある日突然、SNS上で無責任なふるまいを演じてしまうことさえあるのです。

 

情報の「信憑性」に匿名も実名も関係ない

情報の「信憑性」を判断する上で重要なのは、何よりもまず、必要な手続きを行っているかどうかだと思います。データを示しているのならば出所を明らかにすべきですし、引用元や根拠を明示するなどというのは当然のことでございます。そして、何より大事なのは、他人を侮辱したりレッテルを貼り付けたりする発言は厳に慎んでおく、ということです。そして、万が一、虚偽の情報を載せてしまったならば、すぐに謝罪をすることが大事です。

匿名であっても、このようなことを遵守している方ならば尊敬に値する一方、実名であっても、守れていない人であるならば信用することができません。すなわち、日頃の行いが物を言うのであって、「信憑性」に匿名か実名かは全くもって関係がありません(あったとしても有意と言えるかどうかは微妙です)。

第一、仮に匿名であったとしても、ハンドルネームを採用している人であれば、活動期間が長くなればなるほど、過去の実績や口コミなどというものはすぐに見つかります。5chのような「名無しさん」であれば区別はつかなくなりますが、「ハンドルネーム」にはこのような効能もあります(気休め程度ですが)。

補足

5chでも、一部スレッドで「強制コテハン」(通称「ワッチョイ」)や「強制IP表示」が導入されています。しかも、「スレ立て」時に指定の方法を行うだけで実現できてしまいます(板にもよりますが)。
これにより、特徴ある書き込みを行っている方の特定などが以前よりもかなり容易となっています。

 

匿名でやるか実名でやるかは、各々が判断すべきこと

もちろん、上で述べてきたことは、インターネット上での活動を実名で行うということそのものを否定するものではありません。実名を採用する面でも、ネットとリアルの評価が直結しやすいというメリットはあります(ただし、このメリットはデメリットに転化しやすい、というのは既にお分かりでしょう)。匿名であれば、リスクは小さい一方、ネットとリアルの評価が一致しにくいという問題はあります。

こういったメリットやデメリットを天秤ではかって、実名をとるか匿名をとるか、どちらの方が自分にとって相応しいかを考えるのが妥当だと思います。少なくとも、「実名でやっていない人は、みんな卑怯者」「実名でやっているのは売名行為が目的」などと言ってレッテルを貼り付けることだけはしないようにしたいものです。

私自身は、いざ失敗したときのリスクが自分にとってあまりにも大きいものですから、約20年間ずっと匿名で活動を続けています。これこそが自分に相応しい「自制」の形だと思っています。何でもかんでもオープンにして良い、とは決して思っていません。

 

以上のような私の文言を見て、「ああ、所詮匿名の言っていることだからな、信用に値しない」と思う方がいらっしゃるならば、その方は私とは意見が合わないということです。人間誰でも意見が合うとは思っていないですし、主義主張も異なっているはず。それはそれで、致し方ないことではありますね。

 

全体としては良い本だが、件の著述は本当に残念

最後に、冒頭に紹介した本自体の感想を少しだけまとめておきます。

以前紹介した『アウトプット大全』(同著)の流れをくんでおり、全体としては本当に良い本だと思います。著者の自己アピールが少々強いと感じはしますが、自分の知らなかった情報収集法を知ることもできました。そして、何より「アウトプット前提でインプットをする」という視点を得られたのは大きいですね。『アウトプット大全』の出来が良すぎたこともあって、この本で少々落差を感じもしましたが、価格相応の価値は十分あると思います。

それだけに、冒頭にあげたような、「著者の憶測に基づいたとしか思えない文言」があったのは、本当に残念です。本当に大事なのは情報の真偽を自ら吟味する能力です。「実名で言っているから正しい」「匿名で言っているから信用できない」などというのは、名前だけで情報の真偽を判断しているに等しい行為であり、一種の思考停止状態とも言えます。

 

くれぐれも、この記事をご覧の皆さんは「この人の言っていることは全て正しい」などという思い込みを起こさないように、情報に対する「嗅覚」を常日頃から鍛えていただきたいと思います。それさえ心がけてくだされば、筆者冥利に尽きます。

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【追記】終わりに(2023/05/01)

SNSの公式アカウントや実名アカウントの不用意な発言などによる「炎上」は、今や珍しいことでも何でもなくなりました。場合によっては活動休止や廃業につながる事例も出てきていますし、そうでなくとも当該アカウントには様々な形で猛バッシングが来ることは避けられません。企業名やブランドなどといった「大きな看板」を背負っていることをすっかり忘れている場合さえあります。

一方、匿名の方が誹謗中傷を執拗に行ったということで、その対象となっていた方(あるいはその関係者)が訴訟を起こしたり警察に相談したりするというケースも出てきています(特に野球界が有名ですね)。あるいは、上記の「桜ういろう」氏のように、匿名を演じていたものの勤務先がバレてしまい処分を受けた、というような事例も決してバカにできません。

いずれにしても、SNSだろうとその他の媒体だろうと、実名だろうとハンドルネームだろうと名無しだろうと、問題となるのは「何を書くか」でしかあり得ません。「書いているのは誰か」は二の次であるべきです。それに加えて、立場や年齢を問わず、情報を外部に伝えるにあたっては細心の注意が求められるようになっています。

匿名だから許される時代はもう終わりを迎えています。いや、そういった時代が来たことさえなかったのですが、この記事を公開した当時よりもかなり厳しくなっているのは確かですね。インターネットに疎かったであろう方々にも意識改革が進んでいっているのが、嫌でも感じられます。

自身の伝えた情報について何の責任もとらなければ、その先に待っているのは大惨事かもしれません。だからこそ、実際に自転車や自動車を運転するときと同様、インターネットに対しても普段から慎重に扱う必要があります。そのことの重要性については、匿名も実名も関係ないのです。

ところで、件の本の著者は、今のインターネットの状況を見て、どんなことを思っているのでしょうね。